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槇塚登+キッチンボタン 鉄の台所道具店

槇塚 登+キッチンボタン

△工房にて。

父の代から鉄工所

その次男坊が「建築関係」からちょっとはみ出して
「もの」をつくりはじめたところから、
鉄の作家・槇塚登さんのキャリアがはじまりました。

地元・香川の工芸高校を卒業後、映像の仕事を経て、
実家の鉄工所に「入所」した20代の槇塚青年。

「跡継ぎは兄貴に決まっていたので」と、
バイト感覚で始めた鉄の仕事でしたが、
年配の熟練の職人さんから「筋がいいな!」と褒められ、
10年ほど、のびのびとキャリアを積みます。

ところが時代の流れで、鉄工の大きな仕事は減ってゆき、
それでも全国の「刑務所の鉄格子をつくる」という仕事で、
規模は縮小をしたものの、兄弟ふたり、
がんばって鉄工所を維持してきました。

その仕事がやっと軌道に乗ってきたころ、
槇塚さんは「鉄の廃材がいっぱいあるなあ」
ということにあらためて気付きます。

(そりゃそうですよね、鉄工所だから。)

でも、鉄工所にとって廃材というのはただの廃材。

そこからなにかが生まれる資材ではありませんし、
それを活用しようなんて職人さんは、
これまで、いませんでした。

けれども槇塚さんは、
「これを使ってなにかできないかな?」
と、余った鉄板を使い、一輪挿しや、
キャンドルスタンドなどの小物の製作を始めます。

ずっと、絵を描くのが好きだった槇塚さんは、
頭の中のイマジネーションを
そのまま「鉄」でかたちにする、
ということを始めたのでした。

そのうち友達から「表札をつくってほしい」と言われると、
魚釣りが好きな友人には魚の形の表札をつくったり。

そんなアイデアを生かして
鉄の仕事をしていくことが、
槇塚さんはたまらなく楽しくなっていきます。

「イマジネーションを鉄で形にしてもいいんだ!」

最初は「鉄の作業が、絵のように、たのしみになるとは
思っていなかった」そうですが、
好きなものをつくっていくうちに、
だんだんとその「好き」という気持ちに
近づいていったそうです。

30代半ばになっていた槇塚さんの世界は、
さらにだんだんと広がっていき、
「近くのカフェで展覧会をやらないか?」という話に。

するとこんどはその展覧会を見た人が、
「県内のギャラリーを紹介してあげるよ」と、
すこしずつ、発表の場を得ていきます。

当時作っていたのは、オブジェ、そして小さな家具など。
鉄だけではなく、木と組み合わせたりもしていたそうです。

一流の作家と出会って磨かれた。

そんなある日、商工会議所のプロジェクト
「ジャパンブランド育成支援事業」で、
建築家の中村好文さんの仲間が集まって、
香川県の企業といっしょにものづくりをしよう、
という試みに参加することに。

たまたま知りあいだった木工の「桜製作所」、
そして前川秀樹さんという彫刻家のかたと組むことになり、
ユニークな鉄と木のテーブルをつくりました。

「石を切る円板状のカッターの、
錆び錆びになったものを天板にして、
脚を桜製作所さんにつくってもらったんです。

全体のコンセプトや細部、
そして作品のストーリーを前川さんが考えられて、
いっしょにテーブルをつくりました。

このとき、作家さんや他の工房と
密にやり取りをしたことで、
ぼくのものづくりの概念がすっかり変わったんです。

いままでは、自由にものをつくっていたものですから、
『使う』ことはあまり考えていなかった。

それが、機能的にも優れていて美しいし、
構造自体のギミックを考えながら、
すごいものができあがっていくのを見て、
ぼくのつくるものも、
違うほうに転がっていくんです。

思えばあれは、最高のワークショップでした」

その頃からの「槇塚登作品」は、
いまに通じる「そぎ落としたシンプルさがあるのに、
特徴的で、使いやすい」ものになっていきます。

キッチンボタン・みなくちなほこさんの
アドバイスで、さらに変化が。

その後、小豆島にあるオリーブの会社の仕事で、
じっさいに入って遊べる鉄の灯台のような
モニュメントをつくった槇塚さん。

同時に、小豆島の灯台をモチーフにしたブローチをつくり、
それを空港などの売店で販売したりもしました。

東京を基点に、
料理家・フードコーディネートの仕事をしていた
みなくちなほこさんが、
小豆島での仕事を通じて、槇塚さんの作品を知ったのも、その頃。

鉄の道具や、「錆び」すらも好きだというみなくちさんは、
槇塚作品に一目ぼれします。

「こんなに素敵なもの、誰が作っているんだろうと訊いたら、
『高松市内にある槇塚鉄工所の槇塚さんですよ』と言われ、
すぐに鉄工所に行ったんです」

そこで見たのが、さまざまなオブジェ、
そしてステンレスでつくった鍋でした。

オブジェのすばらしさはともかく、
ここでみなくちさんに疑問が湧きます。

「‥‥なぜ、鉄工所なのに、鉄じゃないの?」

錆びないほうが台所道具としてはいいだろうと、
よかれと思ってつくったステンレスの鍋に、
みなくちさんがダメ出しをしたのでした。

たしかに、料理をする人からしてみたら、
ダッチオーブンなどの鉄の道具は、
扱いがたいへんなぶん、
料理のしがいもある、おもしろい道具。

でも槇塚さんにはそれがピンと来ていなかったのですね。

「鉄の調理器具をつくったほうがいいですよ!」

「だって錆びちゃうでしょう?」

「油を塗って手入れすればいいんですよ」

じつは槇塚さんは、まったく料理をしない人。

そしてみなくちさんのことも知らなかったそうなのですが、
みなくちさんの著作を読んで勉強し、
槇塚さんとみなくちさんとで
「鉄の台所道具」をつくるプロジェクトがはじまりました。

△最初につくったダッチオーブン。かっこいい!

ちょうど、鉄工所に
芸術大学の金属工芸科を出た
女子社員が入ったということもあり、
彼女達のアドバイスもあって、
そこから「鉄の台所道具」は
どんどんと発展をしていきました。

鉄ですが、軽いです。

さて、この原稿を書いている私(武井)、
槇塚さんたちのつくった鉄の道具を使っています。

ぼくもまた「鉄の道具好き」なのです。

スキレットはロッジを使ってもう‥‥二十年以上かな。

グリルパンもあるし、
琺瑯ならストウブを2個持ってます。

鉄のフライパン系では、
重たい鋳鉄の四角い卵焼き用、
オムレツ用、目玉焼き用、
大きい中華鍋と、
いろんな鉄の道具を持っていて、
けっこう日々使っています。

が! 重いんですよ、鉄。

片手でロッジのスキレットを振ると、
筋肉痛になったり腱鞘炎を起こしそう。

そのためにジムに行っていると言ってもいいくらいです。

でも、今はいいけど、
これ、10年後も使えるんだろうか?

と思うこともあります。

でも「鉄だからなあ、重いほうがいいよなあ」と、
あえて重いものでがんばっています。

△キッチンボタンの展示風景。

そんなおり、みなくちさんの
キッチンボタン(浅草橋にギャラリーがあります)で
槇塚さんの「小さい中華なべ」を買いました。

2人分くらいの野菜炒めができるかな、
という感じの小ぶりの丸いフライパンなのですが、
これが軽い! ‥‥しかも、使いやすい。

中華なべを振る、例の動作(手前にちゃっちゃっと返す)も
軽いから苦じゃないのですね。

しかも火がよくまわるので、一気に加熱できて、
炎を巻き込むいかにも中国料理的な調理もできる。

野菜がシャキッと濃い味で炒め上がります。

もちろんロッジのスキレットで
焦がすように焼く、アウトドア感覚の調理は
いまでも好きですけれど
(厚いステーキなんかは抜群です)、
槇塚さんの中華なべが来てから、
「これ1つでいける」と思うこともしばしばなのです。

洗うのもラクなので、
使っては洗ってまた次の料理をつくって、
と、これ1つでじっさいに料理を数品つくることも。

ああこりゃもう圧倒的にみなさんにオススメしたい。

そう思ったわけであります。

使い終わって水洗いをしたら
よく熱して油をひいておくという習慣が必要ですが、
これを初めて使う人はこれを面倒がらないでくださいね。

△これは、鉄の打ち出しのフライパンです。

完全手づくり。生産数には限りがあります。

ということで、今回の「生活のたのしみ展」では、
さきほど紹介した「小さい中華なべ」のほかに、
そのまま加熱したりオーブンに入れられる鉄の皿・
3サイズと取り外せる持ち手のセット
(フライパンディッシュセット)や、
フライパン大小、大きな中華なべ、
卵焼きPAN、目玉焼きPAN、ましかくPANなどがならびます。

また、バターナイフ、フライ返し、おたまなど小物も。

さらに、3か月以内にお届けする予定の受注販売で、
ダッチオーブン大小も、あるそうですよ。

△卵焼きPAN

△目玉焼きPAN

△キッチンボタンで展示した、四角いシリーズ。

△右下がバターナイフです。キッチンボタンにて。

ただしなにしろ「ひとりでつくっている」ので、
生産数には限りが。売り切れご容赦です。

入荷は2回、初日(11/15)と、
週末の土曜日(11/18)に分けてする予定です。

もし、売るものがなくなっちゃっても、
展示はしていますので、ぜひ見にいらしてくださいね。

ちなみにウェブでは、
フライパンディッシュセットと、バターナイフを扱います。

会期中は、みなくちさんや槇塚さんも
顔を出してくださる予定。

どうぞお出かけくださいね!